読書

「花物語」(吉屋信子)(途中)

前に少し触れた吉屋信子の「花物語」の下巻を読んでいるところだけれど、その中に”黄薔薇”という話が入っている。相手への思いが昂じて「一緒にアメリカの大学へ留学しましょう」と約束するあたりは吉屋信子の価値観が表れているようで面白い。結局は片方が両親の強制によって結婚することになり二人の夢は実現しないのだけれど、そこでもその両親を「結婚をもって唯一の女性の最後の冠とのみ思い詰めている親・・・」と批判して当時の価値観を秀逸に表現している。

「沈黙」(遠藤周作)

題名:沈黙
著者:遠藤周作
発行所:(株)新潮社
タイプ:新潮文庫 え 1 15

神の沈黙に対する疑問を描いた宗教色の強い作品

江戸時代、ポルトガル人司祭の主人公ロドリゴは日本での布教と師の安否確認のため、あえてキリシタン禁制の日本に上陸する。日本信者の信仰のあり方に驚きや戸惑いを感じつつも活動を開始したロドリゴは、やがて役人に捉えられ、彼の信仰と命を掛けた取り調べが始まる。

登場人物の言葉遣いが古く、慣れるまで戸惑います。イエスは自分を売ったユダの事をどう感じていたのか、日本信者の信仰の形は正しいのか、殉教とは、禁制の日本で布教することが日本の人々にとって良いことなのか、多くの難題を突きつけてくる重い作品です。

「海辺のカフカ」(村上春樹)

題名:海辺のカフカ
著者:村上春樹
発行所:(株)新潮社
タイプ:新潮文庫 む 5 24

僕の両親は離婚した。母は姉だけをつれて出ていった。僕は誰からも愛されていない。そう考えて生きてきた主人公は15歳の誕生日に家出をして東京を後にする。一方、猫と話のできる老人のナカタさんは依頼された猫探しを進めていたが、ようやく手がかりを掴んだ時、恐ろしい事件に巻き込まれてゆく。二つの物語は運命に導かれ、一つの場所を目指し動いてゆく。

主人公は父親から受けた「おまえはいつか父親を殺し、母と姉と交わるだろう」という言葉に意識を翻弄されながら物語を進めます。このテーマはギリシア神話のオイディプス王の話と共通したもので、オイディプス王の受けた神託には「姉と交わる」という要素がありませんが、後の「オイディプス王とアンティゴネー」に続く、自らの両目を失明させて野をさまようオイディプス王と、彼を献身的に助ける娘のアンティゴネーとの親愛的な関係から、二人目の母親というイメージの一端を窺うことができ、この作品との共通点を見る事ができます。

オイディプス・コンプレックスは、心理学者フロイトによる汎性欲説の基礎概念から生まれた言葉ですが、これは幼少期の満たされることのない性欲が人の精神的エネルギーの根源であるとする彼の考え方に繋がっています。主体が女性の場合は若干形をかえてエレクトラ・コンプレックスと呼ばれています。この小説の特徴というか、一風変わっている点は、テーマがこのオイディプス・コンプレックスの克服にあるというよりも、その完遂にあるように思われる点です。普通は満たされることのない欲求の存在を認めてこれを克服し、別の有意義な欲求へと昇華させることで人は成長すると考えるのがフロイト派の精神分析における成長の一般的なプロセスですが、この欲求の源泉を積極的に成就させた場合、精神エネルギーはどうなるのだろうかという疑問を持ちながら読む事ができます。

また、作品に現れる二人目の母というイメージもフロイトにより主張されているもので、実母と早い時期に引き離されると特に現われやすいと考えられています。こちらは実母イメージからの転換であるとされていて、絵画「聖アンナと聖母子」(子供と二人の母性的な女性が描かれた、レオナルド・ダビンチの作品)に対するフロイトの考察などでクローズアップされています。

この作品はある種の人々にとっての現実と希望を、メタファーを通して表現するという難事業に挑戦し、それをかなりの完成度で成し遂げています。けれどその作業にあたり、著者の内に働いていたであろう意識のベクトルは、この難事業の完遂であってそのモチーフとしての登場人物たちが抱えている問題の解決には向いていないような印象を受けます。つまり、登場人物たちの悩みや逡巡がファッションやポーズとして感じられてしまいます。このため、主人公が抱える悩みに共感しながら作品を読み進めることでその解決が出来るかもしれないと思って読むと期待はずれの結果になってしまうかもしれません。もちろん、あくまでも僕の個人的な印象ですが。

「うたかた・サンクチュアリ」(吉本ばなな)

題名:うたかた・サンクチュアリ
著者:吉本ばなな
発行所:(株)福武書店
タイプ:福武文庫 よ0402

「キッチン」で有名な吉本ばななの第二作目。

内縁の父を追って母親がネパールへ旅立ち、一人になった主人公の鳥海人魚(とりうみ・にんぎょ)は、母親の違う兄、かもしれない高田嵐と町で偶然に出会う。二人は互いの境遇を思い合ううちに、次第に親しくなってゆくけれど。

初めのうちは少し沈んだ印象が強いですが、だんだんと明るい雰囲気になってゆきます。両親の印象も初めはあまりぱっとしないのですが、こちらもだんだんと魅力的になってゆきます。全体的に、読んでいて元気になってくるような作品です。

精神的に調子が悪いとき、そんな気分から抜け出すための方法はいくつもありますが、本を読んで元気になろうというのもその一つだと思います。そして、この方法にもまた幾つか種類があるということをこの本を読んでいて思いました。その一つは、なるべく自分が同調できる作家の作品を読み、共感することで自分のような感覚をもっている人間が他にも居ることを確認して安心する方法。もう一つは月のように新鮮な光を放つ作品を読んで明るい雰囲気を獲得する方法で、この「うたかた」は手放しで明るい作品ではありませんが後者のような魅力を持っているように思いました。

実のところ、このレビューは読了後2週間くらい経ってから書いた物で、今この本をパラパラ読み返してみても、どのあたりからこのような印象が出てきたのか、はっきりと思い出せないのですが、当時の雑想ノートに「うたかた」というタイトルで上の内容の文章が書いてあるので、読んでいるうちに、どこかでそういう気分になるのだと思います。作中のお父さんのキャラクター性のためかもしれません。

上記の他にも、ヘミングウェイのように圧倒的に力強い作品を読んで影響を受けるという方法や、ジュール・ベルヌの作品や多くの推理小説のような知的に小気味よい作品を読むという方法もまた、選択肢に入るかもしれません。もちろん、本をよむ目的が、上のものだけだとは考えませんが。

「うたかた」の他に「サンクチュアリ」という作品も収録されています。

「道ありき」(三浦綾子)

題名:道ありき
著者:三浦綾子
発行所:(株)主婦の友社

療養生活を通じ、著者がキリスト者となるまでを綴った言葉の記録。

「女にだって魂はある」女学校時代、そう自分に言い聞かせていた勝ち気な少女だった三浦綾子は婚約者から結納の入るその日に貧血で意識を失った。敗戦後の精神的な混乱から二重婚約を行っていた自らに対する罰であると感じられたその失神は、その後13年間に及ぶ結核との闘病生活の幕開けだった。

この作品は小説家三浦綾子の自伝小説です。思い出や手紙を手がかりとして著者の歴史をたどっているため、少し読みにくい作品です。また、戦前教育の中に育ち多量の読書を通じて形成された著者の価値観が、現代の価値観とは大きく異なっている点や、おそらくキリスト教的立場から、著者自身を美化しないようにという意識が強く働いている点も、普通の感覚で読み進めることを困難にしています。

この作品に表されている作者像は、意志的ではあるけれどかなり嫌な女性です。たしかにそれは否定できないことで、事実このような女性にはちょっと近寄りたくありません。けれど彼女が多数表している他の小説作品から読み取れる三浦綾子像は、彼女に対するまったく別の、たくましくて豊かな精神を持った女性としてのイメージを形作っています。それらを念頭に置きながら読むと楽しめる作品です。

「夜と霧」(V.E.フランクル)

題名:夜と霧
著者:VE.フランクル
訳者:霜山徳爾(しもやま とくじ)
発行所:(株)みすず書房

ユダヤ人の心理学者フランクルが、アウシュビッツに収容されてから、連合軍によって解放されるまでの体験を、自身の思想を織り交ぜて綴った作品。

精神の自由と内的な豊かさをもった“繊細な性質の人間”がしばしば頑丈な身体の人々よりも収容所生活をよりよく耐え得た。と語る彼の文章は、学術書というよりは体験談に近く、心理学に興味のない方でも普通に読むことができます。困難な状況の中で、意志的・精神的なスタンスを持って生きることの大切さを語った作品です。

「愛犬リッキーと親バカな飼い主の物語」(藤堂志津子)

題名:愛犬リッキーと親バカな飼い主の物語
著者:藤堂志津子
発行所:(株)講談社
タイプ:講談社文庫 と 27

小説家藤堂志津子による小型犬(ヨークシャー・テリア)の飼育日記。

1994年初冬の札幌、若き日に離婚して以来「二度と結婚はしない!」と公言し続ける40代の女性小説家藤堂志津子は、2年間近くの意気消沈と鬱々とした気分から抜け出せないでいた。原因はわからない。家の壁をポスターや絵画で覆ってみた。生まれて初めてのショートカットに挑戦した。髪の毛を茶と金のメッシュに染めてみた。服を徹底的に買い換えた。海外旅行に行ってみた。大酒をくらった。なにをやっても気分は晴れなかった。そんな彼女はふとしたことから小型犬を飼ってみようと思い立ち、衝動的に実行に移したのだが。

多くの場所に、子育て経験のない著者のコンプレックスが描かれていて痛々しい感じさえします。けれど、そんな印象を読者が受けているということには躊躇せず、遠慮なく思いの丈を噴出させている文章には力づけられるものさえあるように思います。筆者はハムスターより大きい動物を飼った経験がないので正確には気持ちがわからないのですが、マンションの自室に犬と二人、とにかく良く話しかけています。

「あすなろ物語」(井上靖)

題名:あすなろ物語
著者:井上靖
発行所:(株)新潮社
タイプ:新潮文庫 い 7 5

自らの目標に向かって歩み続ける人々の物語。

昭和初期、主人公の鮎太は幼少期を祖母と土蔵で暮らし、祖母の姪や町の青年に励まされて中学へ進学する。さまざまな人々との出会いと別れを繰り返しながら、彼は大学を経て新聞記者になる。兵役の後に終戦を迎え、戦後大阪の焼け野原の中、新しい生活をスタートさせる。

この物語は、話の設定が「しろばんば」など著者の自伝小説によく似ています。けれど、主人公を取り巻く人々がとても豊かな色彩で表現されているので、「しろばんば」よりも読みやすい作品です。主人公の性格もしっかりと描かれていますが、主人公の前に現われる人々がとても個性的で皆前向きなので、むしろこれらの人達の上に作品のテーマがあるように感じます。彼らは皆、なにか目指すものを持っていて、その目標に向かってそれぞれ生きています。その姿勢を著者は、明日は檜(ひのき)になろうと願い続ける翌檜(あすなろ)の木に喩えて表現しています。遙か遠くの目標を自ら見つけ、それに向かって歩み続ける人々の姿がよく印象に残る作品です。

「変身」(カフカ)

フランツ・カフカ著
高橋義考訳

ある朝、グレーゴル・ザムザが目を覚ますと、自分が巨大な蜘蛛になっている。
「これはいったいどうしたことだ」
そう考えるグレーゴルだが、この恐ろしい事実は程なく家族に知られてしまう。彼は家族の飼育のもとに日々を送ることになるのだが、、、

何の説明もなく、ただ唐突にグレーゴルは巨大な蜘蛛となって生活することを強いられます。初めは驚く彼ですが、徐々にそのことを受け入れていきます。旅先で珍事に巻き込まれた旅人のように、自分の身の上についてあれこれと思案します。恐れ驚愕する周囲の感情と、どこかのんきにマイペースな彼の思考との間にあるズレが時として悲しく感じられる作品です。
自分が存在することに意味のないことを嘆いた物語はいくつもありますが、これほどに自分を疎まれた存在として扱うものは少ないと思います。家族にとって彼の存在は、ただただ、おぞましくて不愉快なものですが、彼は人としての感性を持って事態を受け止め、なるべく家族に迷惑がかからないように精一杯配慮しながら、自室で飼育される日々を送ります。物語の設定からは暗たんとした雰囲気が漂う作品ですが、両親や妹に気を使うグレーゴルの人柄がどこか明るく素直なので、全体として暗い印象が押さえられた作品になっています。この点に、この作品の素晴らしさがあるように感じました。

村上春樹が気に入っていたカフカの作品ということで手に取った小説です。非現実的な事柄をごく自然に扱っている点など、たしかに漂う雰囲気に共通したものを感じました。

「青い鳥」(メーテルリンク)

著者:メーテルリンク
訳者:鈴木豊

クリスマス・イブの夜、幼いチルチルとミチルは自分たちの貧しい家の窓から、隣家の明るいパーティーを眺めている。そこに仙女があらわれ、「ここに青い鳥はいるかね?」と彼らに尋ねる。娘の病気を治すためには青い鳥が必要なのだと彼女は言う。仙女にもらった帽子の魔法で、命を吹き込まれた犬や猫、砂糖や光たちと一緒にチルチルとミチルは青い鳥を探す旅に出る。

ノーベル賞文学賞を受賞したメーテルリンクの有名な物語です。劇の台本のような構成になっていて、本の初めに衣裳などの説明があったり、章の始めに舞台設定の説明があったりするので、通常の小説作品とは少し毛色が違う作品です。主に登場人物たちの台詞を手がかりに物語りが進みます。
幸福の青い鳥を探す物語ですが、各エピソードを通じて「幸せって何?」という疑問の答えを探す形にもなっています。当然この難問の答えは一筋縄では出てきませんが、そこは上手にまとめられています。各人物の台詞や演出に大げさな印象を受けますが、素直に楽しめる作品です。

[mixiの日記より]

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