読書感想

「グレート・ギャツビー 」(フィツジェラルド)

 20世紀初頭、第二次大戦前のアメリカ好景気を背景に、もともとの富裕層たちと、なんらかの方法で富裕層に成り上がった人々の物語です。

 豪奢で華やかな描写が多いですが幸せな物語ではなく、どちらかというとノルウェーの森のように、一種の救いの無さが特に後半に現れています。村上作品の場合、そのネガティブな部分を含めて全体的にはどことなく解決策を模索しているようなところがあり、それが一種の優しさのように感じられるのに対し、もっと苦しい印象が残る作品です。

「深い河」(遠藤周作)

 つらい過去を持つ複数の人物がインドのガンジス川を訪れ、何かの価値観を受けとるという流れの複数の物語が同時に進行します。

 一件まとまりのない進行に思えますが、この物語の主人公はおそらく美津子であり次いで美津子に関わったキリスト者の大津だと考えるとそんな構成の意味が見えてきます。

 美津子の人生には他の人物たちが抱えているような強烈な体験はないように見える反面、彼女の抱えるある種の虚ろさは、著者がそれこそ人生の最大の苦しみだと考えているかのように丁寧に描かれています。他の悩める人々の物語が、ただインドとガンジスによって収束しているのに対して、美津子の物語は作品全体を通してさまよい続け、異端のキリスト者として大津の歩んだ道に触れる度に影響を受けて成熟していくように感じられます。

 また、インドで彼らのガイドをつとめる江波や、ことあるごとに軽薄な態度で雰囲気を壊してゆく三條もある意味魅力的に描かれていて、読み応えのある作品です。

「六番目の小夜子」

著者 恩田陸
発行日 1992年7月
発行元 新潮社

読んでいて中学校時代を懐かしく思い出すような小説です。主人公達のものの感じ方が素直で安定している為に感じられる平和な雰囲気と、引っ越してきた少女の怪しい振る舞いや多くの謎から感じられる緊張感がうまく両立しています。郷愁の作家恩田陸のデビュー作です。

話の進め方や表現が巧みなこともあり、登場人物の感じている驚きや好奇心、恐怖などの感情に素直に共感できます。ライトな小説ながら、学校という存在の意味を探るような記述があり、どことなく物を考える中学生の雰囲気が出ていて魅力的な恩田作品です。

「カラマーゾフの兄弟」

題名:カラマーゾフの兄弟
著者:ドストエーフスキイ
訳者:米川正夫
発行所:(株)岩波書店
タイプ:岩波文庫 赤614-9~615-2

徹底的な心理描写によって描かれるロシア文学の高峰

女と酒によって生活する零落貴族のフョードル・カラマーゾフ、彼は幼い3人の息子達の養育を放棄して自堕落な生活を送っていた。3人の息子は召使いグレゴーリイの手によって育てられ、やがて成人する。金銭トラブルと女性関係のもつれによって争う2人の兄ドミートリィとイヴンそして父のフョードル。僧院で暮らし、他愛と神の言葉によって生きる弟アリョーシャ。彼らカラマーゾフ家を中心とした物語は一つの悲劇を産み、様々な思想と感情を描きながら展開してく。

『罪と罰』と並ぶドストエーフスキイの代表作です。分量はこちらの方が多く、人間像が多面的なのでこちらを第一の代表作と見る方も多いようです。小説家の村上春樹も自分の目指す「総合小説」の例として『カラマーゾフの兄弟』をあげているようです(Wikipedia:村上春樹)。『罪と罰』同様、事件前から事件後に至るまでの心理描写を徹底的に行い、主人公達の行動の動機や結果から生じる心境の変化などを一つの雰囲気の中に描き出しています。描かれる感情の起伏が激しいので、強い感情や、卑屈な感情の描写が苦手な方にはお薦めできないかもしれません。3人の息子の考え方がそれぞれ違うので、一面的な描写に偏らずに拡がりがある反面、それらを受け止めながら読まないと作品としてのまとまりを得るのに苦労する作品です。ただ、読み進めるとその起伏や分裂状態こそ、ドストエーフスキイにとっての人間理解の表現であることが次第に伝わってきます(と筆者は思います)。重量感のある作品ですが、推理小説のような事件の解き明かしや、純粋な愛憎描写など、物語作品としても完成度が高く教養小説の枠を超えて楽しめる作品です。

「赤い高粱」(莫言)

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「赤い高粱」(莫言)

2012年ノーベル文学賞を受賞した莫言(ばくげん)の代表作。反日的な描写があるとのことで身構えて読んだけれど、実際には国民党軍とのいがみ合いや、盗賊同士の殺し合いなど様々個所でリアルな暴力表現があり、特に反日ばかりの小説では無い。 (さらに…)

「コーパスとテキストマイニング」(石田基広・金明哲編著)

「コーパスとテキストマイニング」(石田基広・金明哲編著,共立出版,2012)

統計ソフトRに関する書籍を多数執筆している石田氏、金氏によるテキストマイニングの事例集。

金融、医学、社会学、宗教学など、幅広い分野でのテキストマイニングの使われ方を多数の事例をもとに紹介しています。
金融の項では膨大なツイッターの記事から将来のダウ平均株価を予測する研究を紹介し、社会心理学の項ではYahoo!知恵袋の利用者に対して行った自由記述のアンケートを分析して男女および利用頻度の違いによる語彙の違いなどから利用者心理を分析しています。
もとの論文を噛み砕いて紹介し、難しい部分には多数の補足が入っているため初学者にとっても理解しやすい書籍です。

「UNIXの1/4世紀」(ピーター・H・サルス)


表紙画像はAmazon.co.jpへのリンクです。

UNIXの歴史を当事者の言葉を交えて解説する名著。

この本はUNIXの歴史を当事者本人の言葉を交えて詳細に物語ったものです。UNIXの歴史に関する文章はウェブページやいろいろなPC関係の書籍で読むことができますし、UNIXやLinusなどに関心のある方なら、だいたいある程度のドラマを頭の中に描き出せることと思います。けれど、初めはUNICSと呼ばれていたそのシステムのファイルシステム実装のマニュアル作成に関して、ミーティングの回数をケン・トンプソンが「大体一度か二度だった」と回想している事を教えてくれるようなマニアックな記述は、この本以外には無いように思います。

BSD、ひいてはFreeBSDの足を引っ張って(当時の)Linuxに遅れをとらせたとされているUSL裁判の経緯。後に評判を落としたSCOが、かつてはどのようにUNIX文化に関わっていたのか。などなど、普通の入門書には載っていないような事柄が、はっきりとした情報源の記載とともに満載されています。

「タイプ論」(C.G.ユング)


表紙画像はAmazon.co.jpへのリンクです。

人の性格について、内向的・外向的という区分けを提唱した、ユング心理学における重要な書籍の一つ。

類型論自体は古来よりさまざまなものが考案されており、それらの中には内向・外向の雰囲気を表しているものも存在します。ユングによるタイプ論の特徴は、この2タイプに極性があると仮定し、類型の根本的なものとして無意識の構造とあわせて考察した点です。極性があるというのは、例えば南極と北極のように片方に近づくともう片方からは遠ざかるということ。

ユングに対する多くの批判の通り、このタイプ論も科学的な論文にはなっていません。「私の経験によれば、、、」とか「アポロンとディオニュソスを比べると、、、」などの言葉から次々と概念を引き出して行く論法はとても科学的とは言えませんが、そういった方法論にも説得力を認めている点もユングの人間理解の一つと考えられます。

「苦役列車」(西村堅太)

苦役列車(西村賢太)

文芸春秋の3月号に掲載されていたので読んでみた。独特な文章が優れているか否かは判断できないけれど、ストーリーやテーマの点から見れば、まだ一回しか読んでいないけれどあまり趣味に合う作品では無かった。小林多喜二の蟹工船を読んだときにも感じたことだけれど、土方であれ派遣であれ環境は上の2冊に劣らず劣悪だったとしても、だからといってそこで働いている人たちの人間性が劣悪か否かはまた別の問題のように感じる。労働への適正というか嗜好は人それぞれであり、もちろん就労へのさまざまな精神的・環境的な障壁もあるけれど、そこで人間が働いている以上そこには様々な人生があり、それなりに過酷な事やそうでない事がないまぜになった現実が存在しているように思う。つまりは本作はすこし汚い部分を極端に描く傾向があり、性的描写を露骨にして売り込んでいる作家から感じる処世術的な不愉快さに似た印象を受けてしまう。

そう遠くない過去に日雇いの港湾労働に従事していた者の日常を映したドキュメンタリー的な作品として読んだ場合には、それなりに意味深い作品だと思う。

「沈黙」(遠藤周作)

題名:沈黙
著者:遠藤周作
発行所:(株)新潮社
タイプ:新潮文庫 え 1 15

神の沈黙に対する疑問を描いた宗教色の強い作品

江戸時代、ポルトガル人司祭の主人公ロドリゴは日本での布教と師の安否確認のため、あえてキリシタン禁制の日本に上陸する。日本信者の信仰のあり方に驚きや戸惑いを感じつつも活動を開始したロドリゴは、やがて役人に捉えられ、彼の信仰と命を掛けた取り調べが始まる。

登場人物の言葉遣いが古く、慣れるまで戸惑います。イエスは自分を売ったユダの事をどう感じていたのか、日本信者の信仰の形は正しいのか、殉教とは、禁制の日本で布教することが日本の人々にとって良いことなのか、多くの難題を突きつけてくる重い作品です。

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