吉屋信子

吉屋信子の思想について

最近のろのろと読んでいる吉屋信子の「花物語」、下巻も後半に入りかなり雰囲気が変わってきた。キリスト教について造詣が深いと思わせる話や、どうやら男女差別に対してはっきりした意見を持っているらしいと思わせる話が入っている。205ページから始まる「ヒヤシンス」は女性のタイピストが女性の意見を代表して経営者へ談判しに行き、クビになる話だった。小林多喜二の蟹工船にも通じる筋立てで、テーマは女性の尊厳。それを積極的に肯定しているのかどうかは判断に迷う文章だけれど、とにかくそういった発想が彼女にあるということが意外だった。

追記:
後書きにも、「花は世界に抗する、、、」といった文章と共に吉屋信子の作品が当時としてはかなり進歩的だった事が紹介されている。そんな作品が連載を続けられたのは、男性の登場しない安全なロマンス小説としてのイメージが強かった事のおかげだったとのこと。

「花物語」(吉屋信子)(途中)

前に少し触れた吉屋信子の「花物語」の下巻を読んでいるところだけれど、その中に”黄薔薇”という話が入っている。相手への思いが昂じて「一緒にアメリカの大学へ留学しましょう」と約束するあたりは吉屋信子の価値観が表れているようで面白い。結局は片方が両親の強制によって結婚することになり二人の夢は実現しないのだけれど、そこでもその両親を「結婚をもって唯一の女性の最後の冠とのみ思い詰めている親・・・」と批判して当時の価値観を秀逸に表現している。

吉屋信子について

吉屋信子の作品は、情景の描写や女性の表現、特に着物の表現の豊かさと繊細さが傑出していて、柔らかい心理描写の評価にさらに魅力を加えていると思う。表現の豊かさは、通常の小説というよりは清少納言とか紫式部とか、その頃の表現に近いような印象すらうけ、枕草子は読むのが大変だという向きにもその良さが伝わるのではないかと思う。

けれど、自分にとって彼女の作品の一番の魅力は、成長に対する渇望のようなものが、時によって行間に感じられる点のように思う。それは、フランス文学など、多くの海外作品が当然のように持っていて、なぜか日本の、特に名をなした文学作品の中からは読み取りにくい感情のように思っていたものに近い。

確かに、日本人作家の中にもそのような雰囲気に包まれた方々は多くいるけれど、どことなくアウトサイダー的な感がある。前に書いたKさんはそういった事について「最近の日本人は、ハングリー精神みたいなものが無いのよ」と言っていた。

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